スイスでは、地方行政区画の境界線を巡ってたびたび論争が起きている。州の数を減らし、大きな州に自治体を再編する案があるが、国民投票にかけられたとしても惨敗が目に見えている。事実、スイス人はこの昔ながらの州の境界線に良くも悪くも非常にこだわりがあるようだ。
スイスの州の境界線には、あのナポレオン・ボナパルトでさえ白旗を上げたという歴史がある。1798年、フランス総裁政府の強力な圧力の下でスイスにヘルヴェティア共和国の建国が宣言された。フランス革命軍は国を占拠するやいなや、高等弁務官を通じこれまでの州の再編を試みた。とりわけフランス革命に対抗していた州が対象となった。
「納得できないというのか?ならば4州を一つに統合して、お前たちの影響力を抑えることにしよう」。ジャン・ジャック・ラピナは恐らくそう言って、ウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデン、ツーク4州をヴァルトシュテッテン州に統合させたのではないだろうか。
スイス東部でも同様に州の合併が進められ、グラールス、ザルガンス、オーバートッゲンブルクを統合してリント州が編成された。そしてアッペンツェル、ザンクト・ガレン、ラインタール、ウンタートッゲンブルクはセンティス州に統合された。